インフルエンザの猛威

インフルエンザが全国的に大流行し猛威を振るっているようですね。体力のない高齢者や子供は特にかかり易く、高齢者では死亡する場合もあるそうですね。

2019年1月21日~1月27日(19年第4週)の推定患者数は約228万人にのぼり、過去10シーズンの最大数を上回ったようです。
 国立感染症研究所が2月1日に更新したインフルエンザの流行マップによると、日本全国で感染者が急増しているようです。

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全国の推計患者数は163万人を超え、国立感染症研究所からインフルエンザの流行が全国で警報レベルであると発表があり、学級閉鎖等も相次いでいるようです。

私の住んでいる地域は都会から離れた田舎ではありますが、毎年都会より少し遅れて流行がやってきます。今年もこれから札幌雪祭りが始まるので、それを見に行った多くの人たちがインフルエンザをもって帰ってくるでしょう。

そもそも、基本的に所謂「風邪」と「インフルエンザ」はどう違うのでしょうか。どちらもウイルスによる呼吸器病であるには変わりありませんが、風邪は喉の痛み、鼻水、咳などの症状を伴う呼吸器の急性炎症で、発熱、頭痛、食欲不振等を伴うこともあり、健康な人でも年に数回罹るといわれています。一方、インフルエンザはインフルエンザウイルスによって罹る病気です。普通の風邪より急激に発症し症状が重いのが特徴で感染すると潜伏期間(1から5日)を経て38度以上の高熱や筋肉痛などの全身症状が出てきます。健康な人であれば3から7日で回復に向かいますが、気管支炎や肺炎、脳炎を継発する場合もある怖い感染症です。

私の職場では先日ついに感染者が一人出てしまいました。昨年12月から小学生の子供のいる同僚の家庭では子供がインフルエンザに感染した人が2,3人いましたが、いずれも感染しないようにマスクを徹底し、感染していない私たちもマスクをするなどして感染せずに経過していました。それなのに、子供ももう一緒に住んでいない年齢の人が感染し5日間の出勤停止です。外勤を中心とする私の職場では5日間も予定外の人が休むとシフトを組むのがなかなか大変です。お互い様とは言いますが、1,2日ではなく5日間というのはなかなか大変なので、感染予防の対策は必要ですね。

予防対策には、ウイルスは咳やくしゃみで2メートル先まで飛び散るため口や鼻から吸い込む飛沫(ひまつ)感染を防ぐよう、マスクの着用が欠かせなく、ドアノブなど感染者が触れた物からうつる接触感染もあるので石鹸でのこまめな手洗いが必要なようです。マスクは薬局でいろいろなタイプが売っているし、子供用のキャラクターマスクもあるそうです。

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それから、インフルエンザワクチンの接種もシーズン前に必ず受けることが大切です。ワクチンは効かないという噂もありますが、ワクチン接種を受けていれば、感染してしまっても症状が軽く済むようなので是非受けておくべきだと思います。

私はこの時期は雪祭りのような人の沢山集まるような場所や、大好きな映画もなるべく見に行かないように努力しています。

はやく流行が治まってほしいですね。

 

 

ビールが美味い!!

お酒は若い頃から好きで飲んでいますが、最近は年齢のためか翌日の体調に影響が残ることが非常に増えています。35歳くらいまでは翌日のことなど全く気にせず、好きなだけ飲むことができました。でも40歳に近づくにつれ翌日なぜか頭痛とまではいかなくても頭が重い、お腹の調子が今一つ良くなく何となく下痢気味が続いたりして、その程度が年々増加していき、55歳を超えたころからは休日の前の日以外はあまりお酒を飲みたいなくなってきました。私だけではなく一般的に年齢と共にこのようになっていくのかもしれませんが、私の仕事が外回りであることもあって、年齢による体力の衰退と共に日常生活も仕事のために万全を期していかなければ60歳を過ぎて働き続けるのは無理なのかもしれませんね。それに、正月出勤で働いた後、3日間の休みがありましたが妻が風邪の発熱した為、どこへも出かけず家にの中のことをやりながらあまり動かず3日間を過ごしていると風邪もひいていないのに喉が腫れた気がして吐き気がしてきました。もしかして食道癌ではないかと余計な心配をしたりして気分的に落ち込んでしまいました。でも、翌日から仕事が忙しく、一日が終了した時点で前日までの心配はすっかり忘れており気分的な落ち込みもなくなっていました。こんなことから考えると、体力的に考慮することは必要ですが、精神的には毎日仕事を続けることが健康上は必要なことのような気もします。これからの時代は年金も減額されそうで昔の定年後のように悠々自適の生活はありえないと思われますので、体力を消耗しない程度に働き続けらればいいのかなと最近考えています。

飲めなくなってきたというわりには先日、後輩が結婚したので酒好きの3人で小さな飲み会を開きました。職場関係で集まると私は一番年上になってしまうので飲みすぎないように気をつけて飲みました。若い頃から酔うと記憶が無くなることが多く、この頃は少ないお酒の量でもそうなることが多いのでかなり気をつけて飲みます。その方法としてはなるべくアルコール度数の低いビールを飲むようにして、日本酒は極力飲まないようにしています。もし飲むときでも同量の水を一緒に飲むように心がけています。このような飲み方を心がけているとどうしてもビールの味が気になります。ビールのおいしい店はメーカーによらず何杯飲んでも本当にコクがあって喉越しが良く美味しいビールですが、そうじゃない店は一杯目から気が抜けたような、水っぽいような美味しくないビールが出てきます。何時でも美味しいビールを出してくれる田舎の居酒屋の親方に聞いてみたら、客が少なくて翌日になってもサーバー等の管理をしっかりすれば問題無いらしいのですが、店によっては管理を怠ったまま出しているようです。何年か前に観光客の沢山くる札幌ビール園で前日のサーバーの管に残ったビールをそのまま使用し続けていたことがニュースになっていましたが、私も地元の某ビールメーカーの工場に隣接したビール園に、午後3時ころ入店し生ビールを飲んだところ気の抜けて美味しくないビールを飲まされた経験があり本当にがっかりしました。特にビールは最初から飲むことが多く、美味しくないビールを出されると飲み会が楽しくなくなってしまいますよね。

先日の飲み会のビールはほんとうにお美味しいビールでした。ちょっと飲み過ぎたかな。

あおり運転

あおり運転。最近交通事故の原因で世間の注目を受けています。東名高速であおり運転を続けた末、家族4人の乗った車を交通事故に巻き込み両親が死亡、子供が怪我をするという痛ましい事故を引き起こした男の裁判員裁判で、地裁は危険運転致死傷罪の成立を認め懲役18年の判決を言い渡しました。この判決は危険運転致死傷罪の成立を停車中だった車に適用できるかどうかの判断が注目されていましたが、重大な結果を招いた男の、注意されて腹がたったという短絡的で身勝手な行動は強い非難に値するという判断が下されました。

飲酒運転のトラックが乗用車に追突し幼い姉妹が死亡した事故(東名高速)、飲酒運転で3人の子供が命を落とした事故(福岡市)等をきっかけに、悪質運転に向けられる社会のまなざしも厳しくなり法整備が進みました。17年前に危険運転致死傷罪が新設された当時は想定されなかった状況である、車を止める行為がこの危険運転にあたるかどうかが大きな争点ででした。判決は、停車したことを危険運転致死傷罪に問うのは無理がある一方で、事故に至るまでの妨害行為と密接に関連する行為であり、男の行動と4人の死傷とは因果関係があると結論づけられました。この事故は男が一家4人の乗る車の進路に割り込んで減速を繰り返す妨害行為をして最後は前に回って自分の車を高速道路の追い越し車線上で停車した為に一家の車も停車を強いられ、そこに後続のトラックが追突したものです。この男は以前にもあおり運転を繰り返しており、今回の判決が軽いものになってしまっては日常の危険行為を黙認したようなことになり許されてはいけないという認識が世間一般にあった裁判だったといえます。

飲酒運転に対しては、私が運転免許を取った時代(約40年前)とは認識が大きく変わっています。就職したころは仕事終わりに事務所で缶ビール飲んで帰っていく人や、飲んでもアルコールを覚ましてから帰れば大丈夫と言うような間違った認識が一般的にありました。職場全体で焼肉してビール飲んでから運転して帰ったこともよくありました。今思えばこの時代に重大な事故を起こさないで本当に幸運だったとしか言いようがありません。一歩間違えば自動車は人の命を奪う凶器になっていたでしょう。今では職場でも毎朝アルコール検査をしてから仕事に出るように義務付けられていますし、私用中でも飲酒するときは絶対に車を持っていかないのが常識になっています。しかし、今でも飲酒運転で検挙される人が後を絶たないのは残念なことです。今回のあおり運転の

男は何回もあおり運転を繰り返している逆上する性格の男のようですが、2006年の福岡の飲酒運転の男はごく一般的な地方公務員の青年でした。あおり運転をするような人間に対してはドライブレコーダーのような自衛処置も必要だと思いますし、飲んでも運転してしまうという地域あるいは職場の意識を集団として変えていく地道な努力が必要になっています。

千葉外房線内房線の旅

千葉房総半島の旅に行ってきました。千葉には息子夫婦か住んでいたので孫に会いに行ったことがありましたが、南部の房総半島までは行ったことがないので行くことになりました。北海道から行くので台風などに交通機関が影響を受けにくい時期ということで11月はじめになりました。

飛行機で一気に成田空港まで行ったあと九十九里浜方面の白子温泉に宿泊予定で最寄りの駅から路線バスで向かいましたが、結構時間がかかりました。田舎道を走りながら沢山のバス停に止まりましたがいまだに不思議に思うことがあります。長生役場前というバス停があったのですが、何処を見ても畑と小さな民家があるだけで役場らしい建物はありません。帰りも確認しましたがやはり見つけられませんでした。私も北海道の田舎暮らしですが役場はそれなりに分かり安いですよ。

翌日は外房線に乗って終点まで行ってみました。テレビ等でみた情報で海岸線を走りながら海のきれいな景色を見れるつもりでしたが、なんとほとんどが山の中かトンネルで海はあまり見えませんでした。その日のうちに内房線に乗り換えて館山まで移動して宿泊しましたが、白子温泉を出てから館山の宿泊施設まで予想より時間がかかり、景色も楽しめるものではなかったので一日中移動に費やした感じでした。予想とは全く違う汽車の旅となってしまいましたが、この景色を見ながら感じたことがあります。この外房線というほんの短い距離でも人々は谷間の入り江のちょっとした平地に巧みに集落を作って生活していることがわかりましたが、東日本の震災のような津波があったらひとたまりもないような地形ばかりに感じられました。東日本震災の被災地では防潮堤を作ったりしているようですが、日本の地形からして防潮堤のような対策をとれていない危険地域が日本全土には相当多数存在するということが感じられました。

三日目は金谷港からフェリーに乗って鎌倉へ移動しました。フェリーには車が9台ほどしか乗船していませんでしたが、乗船人数はそれなりにおり、比較的天気も良かったので貨物船や釣り船などの海の景色を楽しむことができました。鎌倉についてからは北鎌倉方面の寺院等を散策しながら食事も楽しむことができました。3日目の宿泊は以前にも泊まったことのある由比ガ浜のホテルでしたが、今回の旅行の中ではお風呂も綺麗で一番気分よく泊まれたような気もします。

四日目は江ノ島の展望塔まで登ってみましたが生憎の雨で景色は全然楽しむことができませんでした。晴れていれば遠くは富士山まで観れるはずだったのに残念な結果に終わってしまいました。

今回つくづく感じましたが、ホテルの夕食は我々の年代には多すぎて食べるのにかなりの無理が感じられました。できればホテルの用意された夕食よりも自分で街を散策しつつ選んだ飲食店で少量の食事とお酒を楽しむのがいいように感じました。三泊目の由比ガ浜ではホテルの夕食ではなく、好きなお店で好きな量の食事とアルコールをとることができて楽しむことができました。

「旅は人生の栄養剤」という言葉をどこかの本で見たような気がしますが、日常から離れて三、四日過ごすのは日常の疲れを取るというより精神的には少し解放感が感じられたように思います。  旅はあまり得意ではないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

地震保険 僅かな損害でも手続きを!!

保険もいろいろありますが、皆さんはどのような基準で選んでいるのでしょうか。

私はシニア世代ですから生命保険や子供の学資保険等の掛け金はなくなりました。今現在支払っているのは、入院保険、自動車保険くらいでそれほど高い金額ではありません。一番負担の大きかった生命保険の掛け金も今はなくなりましたが、60歳すぎて給料も七割ほどに下がっているのであまり楽になったとか貯金ができるとかの実感はありません。子供のための学資保険は、新しく上の学校へあがる度にまとまった金額が降りてくるうえに子供が18歳になる満期にはそれなりの金額がおりてくるので、その都度子供の学校関係で掛かる費用の調達に有効に使うことができました。入院保険は子供に賭けておいてもほとんど該当するようなことがありませんでしたが実際に子供が対象になるようなことになったら大変な事ですね。私の年齢になるとある程度は対象になるようなことがあるようで、一昨年に握力が無くなり腕の神経の手術になったときは一週間入院して自己負担で支払った金額と入院保険で出た金額がちょうど同じくらいで助かりました。

自分の生命保険はどうでしょう。私はまだ死んでいませんので支払ってもらったことはありませんでしたが、取りあえず60歳までで掛け金の支払いは終了しています。若い頃は何もわからないまま、上司や知り合いに頼まれるままどこかの生命保険に加入していましたが、今考えると随分高い掛け金の保険を勧められていたような気がします。今貴方にもしかのことがあったら家族が路頭に迷わないためにはこれくらいの金額が必要だと言われるまま契約していたような気がします。それが、たまたまあるとき他の業種にいた昔からの知り合いが新しく外資系の生命保険の取り扱いを始めたので相談してみました。すると、生命保険ではあるけれど、もしかのことは普通は起こりませんから、そんなに高い金額の保険は必要ないのではないかと提案されました。そう言われてみると自分にはもしかのことは起こらないだろうと納得してしまったので少し安価な生命保険に契約することができました。ただし、子供が全員学校を卒業するまでは掛け金の安い掛け捨てのもう一つの契約もしました。

今回、台風被害と地震の被害を続けて受けてしまい火災保険、地震保険どちらも加入しているので手続きしてみました。台風被害は火災保険で対応することになっているので、屋根の鉄板が剥がれた事に対する手続きしてみましたが、業者に見積もりしてもらって被害額が一定の額に達しない場合は支払い対象にならないということで適応にはなりませんでした。でも、地震保険の場合は地震により生じた被害(建物や家財)に対し届出をすると保険会社側の人が訪問し被害の査定を行っていきます。損害部分の修理費用の額等に左右されず被害の査定結果により建物の現存価格に対する%で計算されて支払われるようです。市町村による罹災証明等には関わらず実際の被害の認定によって支払う額が決定するようです。ですから建物に生じたわずかな壁のひび割れ等でもある場合は保険会社に届け出て査定を受けるべきだと思いました。我が家も土台の僅かなひび割れでしたが査定の結果、それなりの金額が支払われるようです。

地震にあった場合は一度自宅全体をチェックしましょう。長い間掛け金払ってきたのですから。

同窓会 台風の影響受ける

先日、大学の卒業後38年ぶりの同窓会に参加してきました。大学のある都市に集合し温泉に一泊で行われ、幹事は地元で働く同級生3人で毎回大変だろうと思いますが頑張ってくれています。久しぶりに学生時代に親しんだモール温泉に浸かって日頃の疲れを癒してきました。20年目の同窓会に参加して以来2回目の参加でしたが、今回卒業以来初めて顔を合わせる人もかなりいました。夫婦で参加したした人も2,3人いましたがほとんどが一人で来ていました。やはり独身時代の気分で参加したいですよね。

38年も経っていると風貌のかなり変わっている人も多く、頭髪はもちろん顔つきも全く変わっていて一目見た感じでは全くわからない人もいました。当日、JRで到着し会場までのバスセンターの待合室で30分ほど待っていると顔のわかる同窓生が一人来たので待ち時間の間歓談してから出発時刻5分前になったので会場行きのバス乗降口へ移動しました。すると、待合室で近くにいた同年代くらいの二人も移動してきました。もしかしてと思ってそちらを見ると、そちらの二人もこちらを見ています。なんとその二人も同窓生でした。私の大学時代のクラスは40人のクラスで全員憶えているつもりでしたが、二人のうち一人は名乗ってくれてもなかなか思い出せませんでした。話をしているうちに思い出してきましたが、自分の記憶力の無さ、あるいは記憶力の衰え?にがっかりしました。

宴会の席では歓談しながらそれぞれの卒業後の状況や近況を一人づつ報告し合いました。我々はシニア世代で一番若い人でちょうど還暦、年上では65歳までいますが、公務員関係は退職して二次就職、民間では管理職を降格し今までと同様の仕事を続けていました。自営業だった人は還暦を転機にして仕事を後輩や子供に譲って今は軽く仕事を手伝う程度で自分の趣味(乗馬等)を楽しんでいる余裕の人生を送り始めている人もいて人それぞれ人生を歩んでいるようです。中でも最も異色だったのが、卒業後、大学院に進んだが指導教官と合わず一年で退学、医科大学に入学し直して医者になった人がいました。彼はそれほど医療に志があったわけでもないようでしたが、たまたま研修に入った僻地医療で先生が老齢で退職してしまったためそのあとを継ぐ形となって9年間、夜も休みなく一日24時間、9年間僻地の一人勤務をこなしたそうです。その後、せっかく医者になったので珍しい船医も数年経験してみたそうです。今は一人勤務ではないけれどまた僻地勤務をこなしているようです。人それぞれの人生ですが、家族をもっていてもこのような人生を送れるのはうらやましいような気もしますね。

今回、38年ぶりの同窓会で楽しい一日を過ごすことはできましたが、運悪く台風25号が北海道を通過する日程とぴったり合ってしまいひどい影響を受けてしまいました。帰りの日、JRが早朝だけで他は終日運休すると前日の昼に決定していたため、ホテルの朝食も食べずタクシーで駅へ出発しようとしていたら、なんと全列車運休になっていました。実際の天候は雨は降っていましたがそれほど強くなく、風もそれほどでなかったのに前日夕方決定した運休は解除されないままでした。もう少し臨機応変に対応して貰いたいような気もしますが、途中で立ち往生等が発生すると最近はSNS等でJRへの批判が殺到するので仕方ないような気もします。SNSも便利になった反面、悪影響も多いような気がするのは私だけでしょうか。

地震の爪痕

胆振東部地震から約2週間が経ちました。各被災地ではようやく小中学校や高校の授業が再開されましたが、まだ、避難所として使用されている学校は音楽室や体育館が使用されており音楽、体育の授業はできない状態のままです。給食もまだ外注の弁当で始めているようです。地震で崖崩れ等で生き埋めになって亡くなられた方、昨日のように避難所生活で心労のため亡くなられたお年寄り、ご冥福をお祈りいたします。

今回の災害は震度7というかなりひどい地震だったため、全国的なニュースとなり関心が集まりました。特に中心となった厚真町や隣の安平町は支援物資もボランティアも数多く来て頂いています。厚真町は被害がひどく、まだライフラインも復旧していないところが多いようです。安平町では電気は比較的早く来ましたが、水道の復旧に時間がかかっています。街の中心付近から徐々に復旧し私の家も5日目の夕方にやっと復旧しました。でも、市街地でもまだ復旧していないところがあり、周辺の農家関係は水道の経路が一般家庭とは違った地域があってこの地域は水道管そのものが破損しており復旧には何ヶ月もかかるらしくこれからも生活がたいへんなようです。

今回の地震で全国的な情報として厚真町や安平町が被害の中心地として認識され支援物資やボランティアも順調に集まっていました。この三連休のボランティアの申し込みも各家庭に直接申し込み用紙が配布されましたし、食料も避難所には十分用意できているようで周辺の避難していない自宅にいる人にも取りに来るように放送されていました。このように被害の中心地はそれなりに対応して頂いていますが、周辺の地域の避難生活はそんなに順調ではないようです。先日、新聞にも出ていましたが、隣の鵡川町や日高地方も被害は大きかったはずですが、支援物資やボランティアはそんなに順調ではないようです。小さい避難所にはあまり食料も届かず生活が大変なようです。知り合いが仕事で厚真、鵡川方面を車で走っていますが、町の中心部の建物は鵡川町ではかなりひどく傷んでいるようです。厚真町は中心街の立て直しをしてまだあまり年数が経過していないので大丈夫だったようです。農村部は古い建物が壊れてしまったものがあり、特に酪農家の牛舎が壊れてしまったところが何戸かあるようです。牛は他の酪農家へ移動させて貰ったりしているようですが、これから牛舎を新しく立て直して搾乳システムも新しく揃えて経営を再開するのはかなり大変な事でしょう。経営者の年齢にもよると思いますがこのまま経営再開を断念する人が多いのかもしれません。

今回の災害で私が特に感じたのは水のないことに対する不安です。電気がないのは懐中電灯その他で何とか過ごしていけましたが、断水してしまうと生活がかなり不便になります。幸いにも私の職場は水道が出ていたので毎日仕事帰りに水を沢山運んでくることができました。でも。水道から出ない水を使用するのは大変です。手を洗うにしても、ペットボトルを片手で持って片方の手を交互に洗うしかありません。食器を洗うのも大きな入れ物に水を貯めてその中で洗うのですが洗剤で洗った後いつものように沢山の水で流すこともできません。何となく不衛生になってしまいます。さらに、トイレはもっと大変です。一回流すとトイレのタンクに20Lの水を入れなければなりません。20Lの入れ物に入った水を抱えて入れるのは私の体力では無理で1Lくらいづづすくって20回くらい入れなければなりません。へとへとになります。携帯トイレも使用してみましたが、何日間もこれを使用する気にはなりませんでした。

今回の災害で水の大切さが身に染みました。5日間ではありましたが水道の蛇口から水が出ないということは、風呂もトイレも台所も洗面所も使用できなくて不衛生な上に精神的な辛さも感じました。

開発途上国に井戸を掘りに行く技術者やボランティアの仕事の重要性が感じられました。