地震の爪痕

胆振東部地震から約2週間が経ちました。各被災地ではようやく小中学校や高校の授業が再開されましたが、まだ、避難所として使用されている学校は音楽室や体育館が使用されており音楽、体育の授業はできない状態のままです。給食もまだ外注の弁当で始めているようです。地震で崖崩れ等で生き埋めになって亡くなられた方、昨日のように避難所生活で心労のため亡くなられたお年寄り、ご冥福をお祈りいたします。

今回の災害は震度7というかなりひどい地震だったため、全国的なニュースとなり関心が集まりました。特に中心となった厚真町や隣の安平町は支援物資もボランティアも数多く来て頂いています。厚真町は被害がひどく、まだライフラインも復旧していないところが多いようです。安平町では電気は比較的早く来ましたが、水道の復旧に時間がかかっています。街の中心付近から徐々に復旧し私の家も5日目の夕方にやっと復旧しました。でも、市街地でもまだ復旧していないところがあり、周辺の農家関係は水道の経路が一般家庭とは違った地域があってこの地域は水道管そのものが破損しており復旧には何ヶ月もかかるらしくこれからも生活がたいへんなようです。

今回の地震で全国的な情報として厚真町や安平町が被害の中心地として認識され支援物資やボランティアも順調に集まっていました。この三連休のボランティアの申し込みも各家庭に直接申し込み用紙が配布されましたし、食料も避難所には十分用意できているようで周辺の避難していない自宅にいる人にも取りに来るように放送されていました。このように被害の中心地はそれなりに対応して頂いていますが、周辺の地域の避難生活はそんなに順調ではないようです。先日、新聞にも出ていましたが、隣の鵡川町や日高地方も被害は大きかったはずですが、支援物資やボランティアはそんなに順調ではないようです。小さい避難所にはあまり食料も届かず生活が大変なようです。知り合いが仕事で厚真、鵡川方面を車で走っていますが、町の中心部の建物は鵡川町ではかなりひどく傷んでいるようです。厚真町は中心街の立て直しをしてまだあまり年数が経過していないので大丈夫だったようです。農村部は古い建物が壊れてしまったものがあり、特に酪農家の牛舎が壊れてしまったところが何戸かあるようです。牛は他の酪農家へ移動させて貰ったりしているようですが、これから牛舎を新しく立て直して搾乳システムも新しく揃えて経営を再開するのはかなり大変な事でしょう。経営者の年齢にもよると思いますがこのまま経営再開を断念する人が多いのかもしれません。

今回の災害で私が特に感じたのは水のないことに対する不安です。電気がないのは懐中電灯その他で何とか過ごしていけましたが、断水してしまうと生活がかなり不便になります。幸いにも私の職場は水道が出ていたので毎日仕事帰りに水を沢山運んでくることができました。でも。水道から出ない水を使用するのは大変です。手を洗うにしても、ペットボトルを片手で持って片方の手を交互に洗うしかありません。食器を洗うのも大きな入れ物に水を貯めてその中で洗うのですが洗剤で洗った後いつものように沢山の水で流すこともできません。何となく不衛生になってしまいます。さらに、トイレはもっと大変です。一回流すとトイレのタンクに20Lの水を入れなければなりません。20Lの入れ物に入った水を抱えて入れるのは私の体力では無理で1Lくらいづづすくって20回くらい入れなければなりません。へとへとになります。携帯トイレも使用してみましたが、何日間もこれを使用する気にはなりませんでした。

今回の災害で水の大切さが身に染みました。5日間ではありましたが水道の蛇口から水が出ないということは、風呂もトイレも台所も洗面所も使用できなくて不衛生な上に精神的な辛さも感じました。

開発途上国に井戸を掘りに行く技術者やボランティアの仕事の重要性が感じられました。