ドーピング

先週、カヌー競技の中でのドーピングが話題になっていましたね。長年オリンピックを目指してきたベテラン選手が東京オリンピックの出場権を得るためにレースで後輩たちの妨害を図ったということらしい。自分の成績がこれ以上良くならないので後輩の成長を妨害、レース前に、競技に参加するための道具を破損したり隠したりしていたらしい。そのような行動が徐々に度を越えて最終的には後輩の競技への出場権を完全になくするためにドーピング違反となる薬物をこっそり飲み物に混入させ、後輩を出場停止処分へ持っていったというものです。日本人としてはこんなことは起こるはずないと誰もが思っていたことのような気がしますが、実際に起こってしまい報道もまさか日本でそんなことが起こるのだろうかと言うような口調です。被害にあった本人のインタビューが放送されていましたが、一番信頼している先輩で最初にこのことを相談した相手が犯人であったことに非常に深い憤りを感じているようでした。

カヌー競技のようなマイナーなスポーツは仲間意識が強くお互いがライバルではあるけれどもみんなで競技を盛り上げていこうとする意識があり、日本人独特の性善説に基づき、まさか仲間にこのようなことをする人が出るとは夢にも思っていなかったようですね。外国ではそのような事件も既に起こっていたようですが、日本人のスポーツマンシップの感覚では起こりえない出来事でしたね。日本も諸外国と同様にオリンピックを特別視しすぎる傾向がでてきているのではないでしょうか。世界と戦うための競技会はオリンピックでなくても各競技ごとにあると思います。競技者も指導者も国もオリンピックをあまりに特別視しすぎたために起こった悲劇のような気がします。或る意味で本人も犠牲者なのかもしれません。

我々の小さい頃はまだ日本的な風土が感じられました。いたずらすると知らないおじさんに怒られる、隣近所で味噌などの調味料がきれた時に貸し借りができた、お風呂を焚いたら隣近所の人が順番に入りに来た等、子供ながらに人は自分一人で生きているのではなく隣近所で助け合いながら生きていると感じていました。この感覚が、成長して社会参加していくうえで体感的に役に立っていたのかもしれません。日本人的には何事も人は悪いことはしないという性善説に基づいて行動してきたはずです。でも近年は詐欺等の事件が多く、特に弱い高齢者は騙され易いという世の中になってしまったようです。実に悲しい時代になってしまいましたね。

我々はこれから高齢者へとなっていく年代ですが、性善説で生きていけるような時代に変わっていってほしいものですね。