「黒い雨」訴訟

第二次世界大戦末期、広島へのアメリカによる原爆投下直後に、放射能を含んだいわゆる「黒い雨」を浴びた事実があるにもかかわらず、国が設定した対象区域外だったという理由だけで、被爆者健康手帳の交付申請を断られた人達男女84人(この中には既に死亡してしまった方もおられますが)とその遺族が、市と県に対し処分取り消しを求めた訴訟の判決が出ました。戦後75年を経て、やっと出た被害者側に立った判決でした。請求を全面的に認める判決で、訴訟を起こした84人全員を被爆者と認定、被爆者手帳の交付を命じました。これにより国の手当を被爆者として受けられる権利が獲得されたこととなります。

この判決に対し被告側、多分県側に当たると思いますが、黒い雨による健康被害が科学的に証明されていないという反論をしたと述べられています。この当時、「黒い雨」に関するデータは十分に蓄積されていない時期であり、特別区域の制度が設計された経緯などを踏まえ、「本件でのみ、科学的、物質的根拠を重視するのは相当でない」という判決理由を述べたそうです。この区域は爆心地から北西に19 km 幅11 km の範囲に限定し、それ以外の地域では被爆を認めないという結論のまま実に75年も経過してしまったということになります。これ以外の区域でも放射性微粒子を含んだ雨が降ったということは明らかな事実であることを裁判所が認めたことになります。

この判決によりやっと原告らは放射性物質を含んだ黒い雨の影響で、原爆による特定の病気にかかったと認められたことになりました。

原爆投下後、この黒い雨を浴びたり汚染された水や物質を摂取したことによりがんや白内障などを発症したということが明らかであり、放射性物質の恐ろしさというものが原爆被害を受けた日本ではもっと認識されなければならないのではないかと思います。

こんな事実があるにも関わらず、戦後日本は原子力発電所というものを、この狭い日本の中に何十箇所も作り、それも国の方針としては「原子力発電は絶対安全である」というキャンペーンを大々的に広げながら拡張してきました。その結果として起こったのが、今回の地震での原子炉の爆発による地域の放射能汚染です。

除染作業を実施し住民の生活を回復していくという表向きの方針は実施されていますが、実際に生活区域の除染はある程度できても、山林などは全く手付かずのまま生活を再開している形となっています。過去に原爆を投下され、放射能の影響が人体にこんなにも長期にわたり影響を及ぼしている事実を体験しているのに、うわべだけの除染作業が終わったからといって、原発の被害は終了させることができたと言う無責任な国の方針は許されないと思います。

こんな原発被害が出た後でも、なぜ「トイレのないマンション」と言われる原子力発電を続けていくのか、私にはどう考えても理解できません。