山本寛斎さん

先日、山本寛斎さんの講演を聞いてきました。山本寛斎さんは1944年生まれの77歳で1971年に日本人として初めてロンドンにおいてファッション・ショーを開催し世界のファッション業界に躍り出て、既成概念を突き崩すデザインが時代に敏感な若者から圧倒的な支持を獲得したそうです。その後ファッションデザイナーとして活躍を続けて世界的なデザイナーとしての地位を築き上げました。講演当日もカラフルな奇抜な絵柄のスーツ姿で、デザイナーらしい服装でしたが、講演用の服装ではなく自宅からその服装で出勤してきたそうです。アメリカでは最初から自分はこう主張したいと言う風貌で臨まなければ相手にされないらしくそれが身についてしまったとのことです。寛斎さんはデザイナーとして活動していると思っていましたら、もう一つスペクタクルなライブイベントのプロデューサーとしても活躍しています。世界中でイベントを開催し総動員数は360万人以上になるそうです。

寛斎さんが言うには、思いっきり気合を入れて活動することが大切だそうです。とにかく未来に向かって元気よく活動を続けることが一番重要で色々考えていてもうまくはいかない、積極的に活動すれば未来は開けるという信念を基に活動しているそうです。でもいくら有名になってもイベントの費用を集めるのは大変だそうです。寛斎さんくらい有名であれば沢山の収入があってそれによりイベントを開催しているのかと思ったら、全然違うようでイベントごとに資金集めに苦労するそうです。協力してくれそうなところに一ヶ所づつ自筆で手紙を出すそうです。IT時代と言われるのに本当に気持ちを伝えるために手紙を書くというのには頭が下がりますね。見た目の派手さとは正反対に地味な努力家でもあるのですね。

この講演会のしおりには寛斎さんのデザイナーになるまでのプロフィールは一切書かれていません。書いてあるのはここ30年くらいの活動内容と主な受賞歴だけです。このしおりの構成を見ても過去にとらわれない彼の心意気が感じられますね。人間何歳になっても常に上を向き、前に向かって進むことで将来が明るく開けていくという徹底した考えが伝わってきました。私も還暦を過ぎて、体力も少し落ちてきたように感じ始めていた今日この頃ですが、この話を聞くと少し元気になって帰ってきました。

今でこそ世界的に有名になっていますが、デザイナー駆け出しの頃はアルバイトしながらデザインの勉強をしたそうです。学校を卒業してからは一人前になるまでは奥さんに経済的に支えてもらっていたそうです。やはり、下済み時代はあったようですが、我々のような一般的な人間は卒業すると社会人として収入を得て生活しなければなりませんが、才能を持った人は一生懸命支えてくれる人がいてくれるんですね。何かやりたいことがあっても奥さんに経済的に支えてもらいながらは絶対に無理ですね。幸運にも成功すればハッピーエンドになるけれど、うまくいかなければ奥さんに頼ったヒモのような人間と酷評されるのが落ちです。

普通の人々が新しい世界へ進んでいくのは大変ですね。ブログで言いたいことを書く程度がいいところですかね。