家族葬

先日、伯父が亡くなりお通夜とお葬式に参列してきました。最近仕事関係の人のお通夜には参加したことがありますがお葬式までの参列は何年かぶりです。葬儀は従来の一般的なものではなく最近よく行われている近親者のみの家族葬と言うものでした。参加していたのは主に故人の兄弟とその親族、配偶者とその兄弟、子供とその配偶者、孫、ひ孫でごく限られた人数でした。一般的な葬儀とは違うので供物、供花も少なく小ぢんまりとした落ち着いたものでした。家族葬といっても葬儀そのものは葬儀社の人たちが進行してくれるので喪主、施主はそんなに考えなくてもよいようでしたが、火葬場へ向かうのも霊柩車とバスではなく、バス一台で棺桶も遺族も一緒に移動でした。火葬場へ向かって出発してから途中で運転手が突然「火葬許可証を持ってきましたか」とマイクで言ったので驚きました。施主が火葬許可書を貰ってこなかったことに気づいた時に運転手が気を利かして一番後ろの席にいた葬儀社の職員に聞いたためと後からわかりましたが、その時は火葬許可書を忘れてきたのかと思い驚きました。家族葬だと小ぢんまりし過ぎてこういうことも起こるのでしょうか。

費用的にどうなのか、調べてみると家族層の場合、一般的な葬儀を行って15名程度で30万円、30名程度で50万円くらいの費用が掛かるようです。他にお坊さんには供養してもらうけれど式は行わず火葬のみという場合は18万円、無宗教でお坊さんも呼ばず火葬のみが14万円等色々なパターンの葬儀があるようです。従来の一般的な葬儀と比べると比較的気楽に小ぢんまりして費用もあまり掛からず、将来的にも一般化しそうなシステムのお葬式なように思います。

私も今から30年ほど前、父が他界しその葬儀を実施した経験がありますが大変でした。病院で父が息を引き取った瞬間から突然始まってしまいます。全く初めてのことで予め予習もしていないのでどうしていいか分からずおろおろするばかり。どこか葬儀の業者を看護師に聞いてみても紹介はしないことになっていると言われるし、当時はスマホもなく困り果てていると、頼りになりそうなガッチリした看護師さんがこっそり業者を呼んでくれて助かりました。結局、最初に遺体を家まで運んでもらった業者に最後まで葬儀を取り仕切ってもらうことになりました。父は定年退職後間もなく亡くなったので一般的な普通の葬儀を行い沢山の方々に参列して頂きましたが家族葬とは違ってかなり費用は掛かりました。何といっても初めてなことなのでそんなにスムーズにはいきません。亡くなった翌日から親類縁者への連絡、葬儀の日程、場所の設定を近い親類と相談し、さらには具体的な事、例えば祭壇を決めるにしても安価なものから豪華で高価なものまで何種類もあるし、火葬場へ行く人数の把握、繰り上げ法要に出席して頂ける人数の確認、引き出物の選択等を次々に考えなければなりません。 こんなことを色々考えると今回のような家族葬が今の時代にあっているのかもしれません。

さて、シニア世代の皆様、ご両親が健在な方たちはいざと言うときに備えて少し具体的な心の準備をしておいた方が良いと思います。また、自分の時のことも準備しておいては如何でしょうか。まだ早い?

日本大学は何をしている?

本来ならば保護しなければならない学生を騒動の矢面に立たせ、それを否定するような記者会見を開き学生を守るどころか誰が効いても嘘としか思えないことを延々と会見、しかも謝罪会見であるはずが上から目線の対応、いったいこの大学はどうなっているのか。私も大学を出てはいますがもし自分の母校がこのような対応に出るようなことがあれば恥ずかしくて二度と自分の出身大学の名を口に出すことはできないでしょう。 組織として広報部が対応しているのかもしれないが、今回のことはもはやアメフト部だけの問題ではなく社会的な問題であると思います。大学と言う教育機関における教育の一環としての部活動は人間性育成の一つの手段であるはずなのに、大学の名を上げるためだけに利用し教育方針も何も持ち合わせないスポーツだけの大人たちが学生を道具として使っていたことが明白化してしまった事件だと思います。

本来ならば大学が生徒を保護し表には出さないのが当たり前であると思いますが、今回は大学が何も対応しないため、罪悪感に悩んだ学生本人が自主的に会見を開き真実を述べてしまうという考えられないような事態になってしまいました。この記者会見はマスコミを通じて生放送で流れていましたが誰が見てもその誠実さが伝わってくる内容でしたね。一方大学側は、本来ならば保護しなければならない自分の大学の生徒に対しこれを潰すかのような内容の会見を開き、誰が聞いても嘘のように聴こえる内容を発表してしまっています。この会見を大学は正しいものとして行ったのならば教育機関としてはとんでもない組織だと思われます。学校組織全体がこのような考えなのか、誰か大人な対応できる人間はこの組織にいないのかと思っていたら、今日やっと学長がコメントを発表したようですが、その内容の基本は監督、コーチの主張とあまり変わらず、常識的に考えると広報、監督、コーチの行ったような会見は大学組織が開かせるべきではなかったと思います。

片方の主張に対し、のらりくらりと追及をかわし嘘を通そうとするような今の国会の議論のようなことは悪知恵を持った大人たちなら勝手にやってる程度だけれど、意を決して顔も名前も出して会見した自分の大学の学生に対し今回のような態度は許されないと私は思います。悪い大人たちがどんなに悪知恵を働かせて事実を隠し通そうとしてもこの問題は事実が明らかになってしまうでしょう。ニュースによると、実際に彼の仲間の部員たちが事実を明らかにするための書簡を出す準備を始めたようです。彼自身は今回辛い目にあって大変ですが、彼は将来的に社会で活躍していける人物だと思います。どこの会社も彼の今回の行動を知っていれば間違いなくその人間性を高く評価すると思います。このことを評価できないような面接官のいるような会社は間違っても入社しない方がいいでしょう。

内閣支持率

国会では相変わらず加計学園や森友学園の追及ばかり行われています。最初の頃は知らぬ存ぜぬで押し通し、自分や自分の身内がこのことに関与していたら総理大臣さらには国会議員も辞めるのが当たり前であると公言していた安倍総理大臣であるが、この頃はかなり立場が悪くなり加計学園問題では総理補佐官が数ある特区対象の事例の中で加計学園だけと3回も面接していたことが明白になってしまうし、愛媛県と面談したことはないと言っていた補佐官が会ったかもしれないが県職員がいたかどうかは不明であると曖昧なことを言いだすと県職員から名刺交換した事実を突き付けられて追い詰められ、もしかしたら安倍首相に対する忖度があったかもしれないと国会で答弁してしまっています。自分が指示したわけではないと言っているが忖度させているということは言葉にしなくても明らかに指示と同等のことではないだろうか。

なぜ、こんな状況になってもそのままの総理大臣の立場を続けているのだろうか。ある情報番組では内閣支持率の問題だと分析していました。今、安倍内閣の内閣支持率は40%前後で推移しており政府はこれを底であると考えているということです。つまり、国民の約40%が支持してくれていればこのまま何とか乗り切れると考えているようです。確かに内閣が倒れるときの国民支持率はもっと低かったように思います。それにしても、全体で40%しか支持していない状況、つまり60%が支持していない状態でもいまの状態で良しと考えるなんて一般的にはあり得ないと思いますが如何でしょうか。普通なら支持率が40%ということは60%が反対していると受け止めて行動すると思いますが、政府の考え方は60%が賛成でも反対でもない人たちの集団で40%もの人たちが支持しているので充分であると考えているのでしょう。こんな考えで政治が行われていくのは怖いですね。極論的にはこうやって独裁的な政治が行われていくのではないでしょうか。最初はこんなくらいでもいいかと言う程度の考えがいつの間にかこれが最高であるような考え方になり進んで行ってしまう。第二次世界大戦当時のドイツヒットラーも民衆によって選ばれたリーダーだったのにいつのまにか独裁者となっていってしまったようです。民主主義もある面では怖いですね。今日本の政治が国民の意思とは関係なく進んで居るように見えますが、これはニュースでも解説していましたが、前回の総選挙で国民が自民党を選んででしまった責任も大きいことのようです。その点は国民も反省しなければならないような気がします。与党が強硬採決できる人数を確保してしまったら一党独裁的になってしまうのは当然の流れのように思います。国会はやはり議論を戦わすことのできる構成にしておかなければならないし、それを作るのは国民、有権者ですよね。

「膿を出し切る」と言う言葉が国会の質疑応答の中で何回も首相や国会議員から聞こえてきていますが、膿とはどういうことなのだろうか。国会の中に悪者がいる、悪事が行われようとしていると言うことなのだろうか。このことが本当ならば、日本国民としては情けないことですね。この言葉は私が就職して数年の頃、職場でも聞きました。でも、悪い人を追い出しても次からまた同じような人が出てくるのものです。排除だけでは環境は変化しません。改革を如何に進めていくかが大切だと思います。職場などではよく観察してみると「膿を出し切る」と話している人自身が職場では問題のなっていることが多いような気がします。

皆さんも職場で改革を進めてほしいですが、いつの間にか自分が問題にならないように常に客観的に物事を観察し進めてください。

山本寛斎さん

先日、山本寛斎さんの講演を聞いてきました。山本寛斎さんは1944年生まれの77歳で1971年に日本人として初めてロンドンにおいてファッション・ショーを開催し世界のファッション業界に躍り出て、既成概念を突き崩すデザインが時代に敏感な若者から圧倒的な支持を獲得したそうです。その後ファッションデザイナーとして活躍を続けて世界的なデザイナーとしての地位を築き上げました。講演当日もカラフルな奇抜な絵柄のスーツ姿で、デザイナーらしい服装でしたが、講演用の服装ではなく自宅からその服装で出勤してきたそうです。アメリカでは最初から自分はこう主張したいと言う風貌で臨まなければ相手にされないらしくそれが身についてしまったとのことです。寛斎さんはデザイナーとして活動していると思っていましたら、もう一つスペクタクルなライブイベントのプロデューサーとしても活躍しています。世界中でイベントを開催し総動員数は360万人以上になるそうです。

寛斎さんが言うには、思いっきり気合を入れて活動することが大切だそうです。とにかく未来に向かって元気よく活動を続けることが一番重要で色々考えていてもうまくはいかない、積極的に活動すれば未来は開けるという信念を基に活動しているそうです。でもいくら有名になってもイベントの費用を集めるのは大変だそうです。寛斎さんくらい有名であれば沢山の収入があってそれによりイベントを開催しているのかと思ったら、全然違うようでイベントごとに資金集めに苦労するそうです。協力してくれそうなところに一ヶ所づつ自筆で手紙を出すそうです。IT時代と言われるのに本当に気持ちを伝えるために手紙を書くというのには頭が下がりますね。見た目の派手さとは正反対に地味な努力家でもあるのですね。

この講演会のしおりには寛斎さんのデザイナーになるまでのプロフィールは一切書かれていません。書いてあるのはここ30年くらいの活動内容と主な受賞歴だけです。このしおりの構成を見ても過去にとらわれない彼の心意気が感じられますね。人間何歳になっても常に上を向き、前に向かって進むことで将来が明るく開けていくという徹底した考えが伝わってきました。私も還暦を過ぎて、体力も少し落ちてきたように感じ始めていた今日この頃ですが、この話を聞くと少し元気になって帰ってきました。

今でこそ世界的に有名になっていますが、デザイナー駆け出しの頃はアルバイトしながらデザインの勉強をしたそうです。学校を卒業してからは一人前になるまでは奥さんに経済的に支えてもらっていたそうです。やはり、下済み時代はあったようですが、我々のような一般的な人間は卒業すると社会人として収入を得て生活しなければなりませんが、才能を持った人は一生懸命支えてくれる人がいてくれるんですね。何かやりたいことがあっても奥さんに経済的に支えてもらいながらは絶対に無理ですね。幸運にも成功すればハッピーエンドになるけれど、うまくいかなければ奥さんに頼ったヒモのような人間と酷評されるのが落ちです。

普通の人々が新しい世界へ進んでいくのは大変ですね。ブログで言いたいことを書く程度がいいところですかね。

胃カメラの結果、ピロリ菌消失

先日、3年目の胃カメラ検査に行ってきましたが、その時の血液検査の結果、ピロリ菌の培養検査の結果、胃粘膜組織検査の結果が出たので聞きに行ってきました。私は3年ほど前に人間ドックの血液検査でピロリ菌陽性と診断され、最初に受けた胃カメラ検査でピロリ菌陽性でそれによる慢性胃炎と診断されました。前にも書きましたが医者の説明ではピロリ菌に感染している人が100%胃がんを発症するわけでもないのでそんなに気にしなくてもいいということでしたが、とりあえずは除菌を試みる必要があるということだったので、除菌のための抗生物質を飲むことになりました。最初の年は一週間除菌用の薬を飲んだ結果、陰性になったのにもかかわらず、一年後には再び陽性となり胃カメラの所見でもまたピロリ菌の胃炎になっていました。そのため、一回目とは違う種類の抗生物質をまた一週間飲んだ結果陰性となり、その一年後の今回の検査となりました。

結果的には血液所見、胃から取った粘膜組織所見も異常なくピロリ菌も陰性でした。要するに健康ということでしたが、本当に受ける必要があったのだろうか。費用的には今回は本人支払いが9千円くらい、つまり本人負担分30%がこの料金ということです。実際には約3万円の検査料金がかかったということで国が約2万円を支払うことになってしまいました。もちろん予防の検査ということで病傷給付の保険を使わなければ国の負担はないわけですが、胃炎があるので病気として扱って保険を適用するという医者の方針なので本人負担30%程度で済みました。予防で全額本人負担となるとちょっときついですね。よほど胃の調子悪さを自覚しない限り胃カメラ検査にはいかないと思います。

私は職場の福利厚生で約35年間毎年人間ドックを受けさせられています。一日出張扱いで行かしてもらうので必ずいってはいますが、一回に7,8万円かかりそうな検査を保険組合と職場が負担しているので毎年異常なしではもったいないような気もします。それに、毎年胸部レントゲンを受けているので小さいころからのことを考えると40年か50年余計なレントゲンを浴びさせられているような気もします。今頃いうのもなんですが、いつも異常なしだから毎年受けなくてもよかったのではないかと思ってしまいます。レントゲンの照射により放射線が蓄積して悪影響が出るにしても還暦過ぎたのでその前にこの世にいないかもしれませんね。

胃カメラ検査の前処置で鼻と喉に局所麻酔のゼリーをいれて20分ほど待つのですが、本来上を向いて待たなければならないのに、私はあまり緊張しないのでつい居眠りしてしまい気が付いた時には下向きになっていてゼリーが口の中に出てきてしまっていました。結果として鼻の奥の麻酔が不十分でカメラが入ったとき痛かったですね。

人間ある程度の緊張は必要ですね。

核廃棄

北朝鮮が突然核廃棄を世界に向けて宣言した。核実験場の廃棄と核ミサイルの発射実験の中止ということらしい。一見大きな譲歩のようにも見えるがテレビ等の評論家が言うには、核実験場は既に役目を終えていずれ廃棄される予定の施設だし、また現在持っている核弾頭の廃棄については何も語られていないと指摘されています。北朝鮮は過去の経過を見ると何度も約束を破って見返りの援助を受けながら秘密裡に核開発を継続してきたようです。いつの間にかアメリカまで射程距離に入っているICBMミサイルを開発していたようです。それが実際に使用可能なものかどうかは良く分からないようですが少なくとも北朝鮮は完成したと言い切っています。核ミサイルをいくつ保有しているのかも分からないまま突然の核廃棄宣言を譲歩と認め経済制裁を緩めてしまうことになるのだろうか。国際社会がシリア内戦に気を取られている間に北朝鮮の思うようになってしまってはだめですよね。

国の外交はどういうものなのか私にはよくわかりませんがこれで経済制裁が緩めば北朝鮮の外交がうまくいったことになってしまうように思います。一連の行動はアメリカとの二国間協議に向けた準備なのかもしれませんが、過去あれだけの嘘をついていた北朝鮮を国際社会は受け入れるのだろうか。国を代表する委員長が世代交代したことを考慮し過去よりも今の北朝鮮を受け入れ交渉していくことになってしまうのでしょうか。外交は究極の営業のような気がします。誠心誠意よりも相手の出方を予想して発言しそれに対する相手の反応をみてまた次の発言をする。そして自国が有利になるようにもっていくのが上手な外交と言われるのでしょう。こういうことから考えると総理大臣や外務大臣は頭の回転が良く話術にも優れていなければ自国を国際的に安定した立場に維持することは難しいですね。

職場という世界でも一般的にはしゃべりが上手で上司にゴマをするような言動をする人が優遇されてしまうことが多いと思います。寡黙でもくもくと仕事を進めていくような人を横目に良く喋って如何にも仕事している風な雰囲気を出しているような人が優遇されますが、それもある程度までで本当のトップ人事になってくると表面的に仕事している人は採用されず、本当に実力のある人が選ばれますね。うわべだけを繕うような人は結局その人間性が見透かされてしまいます。でも、私たちが一番影響される上司は所謂中間管理職であってその人事は前にも述べましたが未だに年功序列です。優秀な管理職になれる人材が揃っている年代が年功序列で中間管理職になったときはいいけれど人材的に不作の年代が中間管理職の年代になるとその時代は大変です。職場が簡単に悪い方向へながれて行ってしまいますね。この時期の部下たちはかわいそうですね。

不作の中間管理職の下で働いている皆様、この時期を何とか乗り越えるか早めに見切りをつけて転職するかは本人の意思次第ですが、転職の理由を上司への不満にしていてはいい転職はできないと思いますよ。

地方選挙

先日町長と町議会議員の選挙がありました。私の町は10年前の平成の大合併で国の方針に従い町民投票の結果隣町と合併しました。合併時の選挙では私の町の町長と隣町の立候補者との間の選挙となり、結果は私の町の町長が合併後の町長になりました。今回も結果的には私の町の立候補者が町長に当選しました。合併後10年でどう変わったかというと我町の町長が新しい町長になったにもかかわらず、役所機能や年に一回のお祭りも隣町の方へ移転されてしまいました。どちらも田舎町で似たり寄ったりかもしれませんが我が町としては年々住みづらくなっていくような気がします。JR駅を見ても我が町は2本の本線の共通する主要駅でありますが、隣町の駅は廃線対象になるような駅です。誰が見てもこちらを中心した方が将来性があるように感じられると思いますが、なぜか隣町が中心になっていってしまいます。なぜ、このようなことになるのかというと地元企業の納税額が隣町の方が多いことと多分町議の数が多いため町議会内部の決定が常に多数派の隣町になってしまうように思います。

町議会議員は15名ですが立候補者が定員と同数で無投票になることもあったようです。その時は、選挙にならなければだめだという主張で自営業の人が立候補した結果、その人が当選してしまいました。小さい町なので当選に必要な票数は少なく、過去にはたった一票差で当落が決まったこともありました。今回の選挙では当選と落選の差は僅か20票程度でした。町長選挙でも当落の差は400票程度でこれは有権者数の10%程度です。小さい町なのでちょっとしたことで当落が左右され、落選した人は職を失ってしまうので大変ですね。詳しくはわかりませんが、仕事を辞めなくても立候補できるようにはならないものでしょうか。

町議の人たちは町の発展のために色々考えているとは思いますが、道の駅等の建物ばかり立てても最初のうちだけは人が来てもいずれ来なくなります。ですから、一時的に人が集まるけれども長続きがしないようなよくある政策ではなく、もっと永続的に人口が増える定住政策等を中心とした町づくりが必要だと思います。就職先や住居の確保を中心とした定住化政策を進め、若い世代の夫婦や生活に苦慮している母子家庭等が入ってきたくなるような町にしていかなければ人口増加にはつながらないように思います。

職場では以前に述べたように町議にあたる管理職が年功序列で決まってしまいます。ですからたまたまよく考える管理職が何年もかけて作り上げてきたものを次の管理職が全部壊してしまいます。職場の人事も現場をよく分かっていないトップが行うのではなく、職員による選挙を実施しその結果を参考にして人事を行えばいいのかなと思います。そうすれば職場が若い年代が望むような方向に少しづづ変わっていけるように思います。

若い年代の発想はいつもブラス思考なので必ず良い方向へ動いていくでしょう。