配偶者をどう呼ぶか

今日の朝日新聞に配偶者をどのように呼ぶかという記事が出ていました。主人、奥様、旦那、嫁、自分の配偶者の呼び方はいろいろあるけれどもその使い方は難しい。相手の配偶者だけではなく自分の呼び名も含めて違和感を感じている声がたくさん出ているようです。例えば「旦那という言葉はずっと違和感を持っていました」「主人という呼び方も自分は使用人であるかのように感じます」と言ったような意見があるようです。

女性配偶者を「嫁」という言い方は、家族制度の名残あるいは女性、妻としての観点ではなく、「奥方」「家内」と同じく一時代前の完成と情緒を伴っているような気がするという意見もあります。一方で「ゴシュジン」「オクサマ」は「音」として定着し差別的な意味合いは既に風化してしまっているという考えもあります。

配偶者の呼び名については、日々試行錯誤の連続で色々な呼び名を試してはみるものの正解は見つからないというのが現状のようです。

ある女性向けの雑誌の編集者の話では、1995年以来配偶者のことを「主人」と表現することが大半で、対外的に一歩下がった「いい妻」の方が生き易かったという背景があっためと思われます。その後、働く女性が増えてきて、「自分は手厚い育児ができていないのではないか」という罪悪感を抱く人が増え、さらに、「家庭内の雑事をどうやって夫とシェアすればいいのか」「自分ばかり負担が大きいのは理不尽だ」といった不満や悩みを感じ、夫婦の関係性を見つめ直す女性が増加、その結果、配偶者の呼び方も変化し、よりカジュアルな響きの「旦那」が増加してきたそうです。

最近の動きとしては、「女性は対等ではなかった」「女性は我慢してきた」と気づいた女性たちは、配偶者を「夫」と呼ぶ人が増加している一方で、単に丁寧語の範囲で「主人」と呼ぶ人も多くいます。

ある政治家は選挙に関して、選挙運動中は、奥さんは「誰々の家内でございます」と名乗るように助言されたと言います。これは政界には古い価値観が残り、家族ぐるみで必死になり、休みを潰して必死に働く「滅私奉公」をよしとする考え方が未だに根強く残っているためではないかと思われます。将来、首相や国会議員が育休を取る事が普通になり、育児や家事をしていない政治家は評価されない時代になっていけば、古い価値観に基づいた配偶者の呼称も変わっていくのではないでしょうか。

以上の配偶者の呼び名については、第三者に対して配偶者をどう呼ぶかという内容ですが、私が日々困っているのは、夫婦二人でお互いをどう呼ぶかという事です。子供が生まれて以来、長年お互いを「お父さん」、「お母さん」と呼び続けてきましたが、子供が巣立って夫婦二人ぐらしとなった今は、名前あるいは愛称で呼び合いたいとは思っています。でも、色々試して取り組んでみましたが、未だに何の抵抗なく呼び合う事ができません。

子供がいるいないにかかわらず、最初からお互いに名前でを呼び合っていた方がいいのかも知れませんね。